うやむやを聴くたびに少し悲しさを感じるのはなんでなんだろう
ってずっと思ってて、メロディーのせいなのか、歌詞のせいなのか。はたまた、聴いている時の私の勝手な感情なのか。
歌詞を少しずつ考えてみると、私の解釈が歪んでいるようにも感じるけれど、それでもその聴き方しかできなくなった。
そんな私なりの妄想的歌詞解釈がある。
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「うやむや」は画面の中の世界。
もっと言えばSNSの世界に通じていて、 主人公はその世界にのめり込んでいる。そしてそこには数え切れないほどの”何者か”が存在していた。
”何者か”は現実世界に存在はするけれど、SNS(画面)世界の中でしか知らない存在。彼らは主人公に遠くも近い存在であり、彼らの行動は”ある一人”に向けて集中しているのである。
それは”ある一人”の疑惑で始まったのだ。
”あの人”は暗闇を照らす太陽的存在。
心の拠り所。信じている人。
でも気になる。
主人公は、SNS世界で”ある一人”に関する”何者か”達の言葉を覗くことにした。
その世界では一つのことに対していろんな人が一斉に様々なことを言い、またそれに対していろんな人が反応している。
(歌割りが複雑で、だからこそいろんな人がいろんなことを言ってる感じがする。)
(一節ごとに別の人間が現れてくる感覚。)
フッ、くだらない。
それでも覗き続ける。
言葉はたくさん頭に浮かんできて、それでもきっと説明したところで言いたいことは伝わらない。うやむやになって、おしまい。
nigenakya.
でもやっぱり主人公はSNSの世界を覗き続けてしまう。
覗けば覗くほど、広がっていく疑惑。
”何者か”達による様々な言葉を見るたび、言いたいことがとめどなく心の中で流れていく。
主人公と同じ思いを抱えた言葉達はSNS画面の中でも羅列され、SNS世界にいる”何者か”の中にも同様の人がいるようだった。
だがいちゃもんつける”何者か”もいて、主人公の怒りは言葉にならない。
そんな時。
”あの人”は再び画面の世界に戻ってきた。
嬉しかった。
それだけで十分。
kinishinai.
それでも広い広い画面の中の世界で、”あの人”のカムバックは注目の的。そこでの言論はどんどん過熱していく。主人公は覗き続けることをやめられない。
そんな世界の中で、渦中の”あの人”はどんな真っ暗闇にいても自ら輝き続けていた。もはや何もかもを輝きの餌にしているようにも見える。やっぱり”あの人”は最高だ。
だから、主人公は創り続ける。
”あの人”から インスピレーションを受けて。
”あの人”に憧れて。
名作なんて言われなくても、いい。
”あの人”が最高だと
SNS世界の外で
叫べばいい。
うやむやにして。
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なんで悲しさを感じたのかは掴めない。
”あの人”がどんな人なのかわからない。
妄想した自分でもよくわかってない。
その複雑さと曖昧さがこの曲のいいところなんだろうなって思う。
ゆずりんごの蜜
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(ダイスケリチャードさんのTwitterより)
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P.S.
”飛花落葉”(ひからくよう)が”干からびよ”にしか聴こえない現象ある人いませんか?